ゲイの悲哀

朝早く起きて研究計画書を書く。その後、途中になっていた、『スピヴァク』 読了。『資本論』はちゃんと読まないといけないなと痛感する。

論文絡みで、レオ・ベルサーニ 「直腸は墓場か?」(『批評空間』Ⅱ-8, 1996所収)を再読。読みながら、数年前に、地元のゲイ・バーへ友達に誘われていったのだけど、そこで桂小枝似のマスター(ママ)が、こっちがいいと思っても相手がゲイだとは限らないのよねー、とオネエ言葉でぼやいていたことを思い出す。ゲイと聞くとなんだか性欲絶倫みたいなイメージがあるけど、これは1980年代のエイズ危機の際にゲイを諸悪の根源に仕立て上げるために行われた過剰な情報操作の弊害で、相手をとっかえひっかえしているゲイのせいでエイズが拡大したんですよ、という虚妄を信じ込まされているのだ、とベルサーニは指摘している。真偽はともかく、マスター(ママ)の話を思い出して、なるほどねーと思ったり。