雪が降ってます

朝からプリンタと格闘。インクカートリッジの残量が僅かになったので、予備のカートリッジを入れるも、なぜか黒インクが出ない。チョップをいれたくなる衝動をぐっと堪え、なだめすかしてみるも、白い紙が出続ける。論文印刷せにゃならんというのに。。

気を取り直して『英語青年』12月号の村山先生のクリストファ・イシャウッド論を読む。不勉強なためイシャウッドの小説は未読。せめて時代的に自分の研究領域の前後くらいは勉強しとかないとまずいなと再認識する。同じく12月号で村山先生の『(見えない)欲望に向けて ― クィア批評との対話』の書評を。評者の近藤先生は、性的アイデンティティが揺らいだことはあるものの、ヘテロセクシュアルとして生活しているとあとがきで綴る村山先生のクィア批評への態度に苦言を呈している。近藤先生の念頭にあるのは、レオ・ベルサーニのHOMOSを翻訳したF先生。そういえば、近藤先生の指摘と似たようなことを口頭諮問の時にN先生に質問されたことを思い出す。クィア批評をする研究者が必ずしも同性愛者である必要はないと思うんだけど。